芭蕉の風景(30)

瓜の皮剥いたところや蓮台野 芭蕉

『芭蕉の風景』() 小澤實p334『ひととき』 ウェッジ2014/7『新芭蕉俳句大成』明治書院p181

 昨今の美食の時代に「瓜」という果実はいかほどの食感を読者に与えるか、さらに「かぶりついたところ」でなく、剥いたところである。いささかとらえどころに甘さを感じる。ついで、結びの下五に「蓮台野l」を持ってきたあたり如何に読むのか大変興味深いところである。

 真桑瓜が主題となっているが、現代で言えば西瓜やメロンと言ったところか、そのみずみずしい美味しさは変わらない。名前にファッション性がない分素朴に俳材として映えるではないか。次に、「蓮台野」が「真桑瓜」の「俳枕」 と言えるかについては、あの辺りに広がる当時の野、畑を思うとそういう風であったろうと想像する。東の鳥辺野、西の化野、そして北の蓮台野と葬送の地にあって正気に満ちた真桑瓜を食する瞬間を思う時蓮台野はまさに無常の風吹く洛北の聖地と思う。




 

芭蕉の風景(29)

芭蕉の風景(29)2022/5/10

花あやめ一夜にかれし求馬哉    芭蕉

『芭蕉の風景』() 小澤實p267『ひととき』 ウェッジ2016/5『新芭蕉俳句大成』明治書院p803

 花あやめが一夜でかれてしまったかのように歌舞伎役者吉岡求馬も死んでしまったことだなあ。と、比喩句にして求馬のことを惜しんでいる。

 貞享五年(1688)四月末、杜国とともに上洛。土芳による『蕉翁句集』(宝永六年一七〇九成立)に所載。前書きに「ある人に誘われて、五月四日に歌舞伎役者吉岡求馬の芝居を観た。ところが、翌日の五日には、なんとその求馬は死んでしまった。そのため、冥福を祈ってこの追悼句をつくったのだ。」とある。

 一方芭蕉に同行した杜国は《唐松歌仙よくをどり侍る だきつきて共に死ぬべし蝉のから  万菊》土芳が『蕉翁句集草稿』に記録しておいたものである。より若い杜国の熱狂的なファン心理がよく出ている。また、求馬の評については『野良立役舞台大鏡』(貞享四年刊)に賛辞がつらねられたあとに、もとめみんこましゃくれてもはなのかほ 確かに美貌の俳優であったことがわかる。

 この芝居見物の数日後、杜国はひとり伊良湖へと帰っていった。そして元禄三年(1690)の春芭蕉に先立ち没するのである。

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芭蕉の風景 (28)

2022/5/9  

ほとゝぎす大竹藪をもる月夜  芭蕉

『芭蕉の風景』() 小澤實p238『ひととき』 ウェッジ2017/5『新芭蕉俳句大成』明治書院p943

一読、上五のほととぎすと中七下五の月夜が重くぶつかり合いしっくりこなかった。第一、夜のほととぎすって聞いたことないきがしてね。

元禄四年(一六九一)四月から五月芭蕉は京都嵯峨野のもんていきょrしの別荘落柿舎にたいざいしている。『嵯峨日記4/20』に記録。

 句意は「ほととぎすの鳴き声が響いている。大きな竹藪から月の光がもれる夜であるなあ。」ほととぎすの聴覚と月夜の視覚の二つの異なる感覚が刺激されるとの解説がある。最初に感じた私の感覚ギャップもあながちピント外れではなかったようだ。


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ギャラリー
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