2022年04月

芭蕉の風景(26)

2022/4/28

さまざまの事おもひ出す桜かな

『芭蕉の風景』()p214小澤實『ひととき20154』ウェッジ『新芭蕉俳句大成』明治書院p464

 この句でまず思った事はさまざま「な」ではなく、「の」である。本来ならさまざまは形容動詞で「事」にかかるのなら連体形の「な」であるべきである。しかしここで芭蕉は「さまざま」を連体修飾格の助詞「の」でつないでより柔らかなニュアンスを出しているのである。



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芭蕉の風景(25)

2022/4/24   

行春を近江の人とおしみける

『芭蕉の風景』()p186小澤實 『ひととき20134』 ウェッジ『新芭蕉俳句大成』明治書院p1109

 さて、この近江の人とは誰のことであろうか、拙い私にもぼちぼち蕉門の人たちぐらいは身についていてほしいものだが、ここでは蕉門のだれかではなく、近江の皆さん程の意味らしい。それよりも「行春」「おしみける」でスケールの大きな近江の本質を掴み切った佳句であると評することに、異論はないようである。


芭蕉の風景(24)


  2022/4/19   

灌仏の日に生れあふ鹿の子かな

『芭蕉の風景』()p235小澤實 『ひととき20144』ウェッジ『新芭蕉俳句大成』明治書院p292

「灌仏の日」とは、お釈迦様の降誕の日四月八日のことである。この尊い日を同じくして生れた鹿の子らであるが、その縁起を喜ぶでもなく可愛らしい鹿の子であるなあと詠嘆するのである。

 ところで春日大社の御祭神は「武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)・天児屋根命(あめのこやねのみこと)・姫大神(ひめのおおかみ)」の四神で、俗に春日神社と呼ばれていたといわれます。そしてその眷属は鹿とされていて私は一読、この句は奈良で詠まれたものではないかと思った。さてその辺りはいかがなものか読み進めることにします。

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ギャラリー
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