2022年09月

『名句の所以』(著:小澤實p191 毎日新聞出版)より

Ryo Daimonji Blog 『名句の所以』(著:小澤實p191 毎日新聞出版)より 

 

洗面器の底に西瓜の種ひとつ  篠崎央子


 遠い俳句初学の頃、俳句では、老農の腰はいつも曲がっており、柿の木にはいつも柿の実はひとつ下がっていなければならない、と言った固定観念に最も注意しなければならない、と習った。この句下五がその「種ひとつ」である。

 この作者がそう言った俳句のタブーを知らないはずはない。家族で食べた西瓜の種捨て用に洗面器を使うことは、飛び散りを防ぐにはとても便利である。その何の変哲もない洗面器に、その今しがた食べた種がひとつだけ残っていたのだ。それを作者は常套表現を恐れずやったのだ。決断の写生の名句と私は理解した。


 



『名句の所以』(著:小澤實p190 毎日新聞出版)より

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稲妻のゆたかなる夜も寝べきころ  中村汀女

 「稲妻のゆたかなる」とは、夜となって稲光が際立つようになった。遠雷であってもよく見えるのである。詩心をもって眺めているとその不安な自然現象すらなにやら豊かで貴重な光景に思えてしまい、ついつい時を忘れるほどに見入ってしまう。それにしても、もういい加減にして寝なければいけない。

 ところで、下五の「寝べきころ」動詞の終止形「ぬ(寝)」に「意志」の助動詞「べし」の連体形で「寝るべき時である」、と言ったところか。


 


2004年(平成16年) 秋 大文字良 第一句集『乾杯』より

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秋草を行き長靴の黒光り
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㊷『芭蕉の風景』著:小澤實を読む

Ryo Daimonji Blog 『芭蕉の風景』を読む ㊷

『芭蕉の風景』()小澤實p120『ひととき』ウエッジ2013/9『新芭蕉俳句大成』明治書院p6

あかあかと日は難面も秋の風  芭蕉

 こういう句の解釈は難しい。作句時の作者の心境を思わせる「つれなくも」「秋の風」でしか読み得ないからだ。まず、「あかあかとした日」と「秋の風」とで、秋の風吹く夕焼けの日と読む。それが「つれない」と言う。それに係助詞の「も」で「強意」を付け加える。あくまでも私個人の経験だが地震とか台風などの前には赤味がかった太陽や空など異様な自然現象が見られることがある。と、句意を察してみるに「芭蕉は次行く旅の目的地を楽しみにしているのに、不吉な日がさすばかりかその上に台風じみた秋の風までつれなく吹いてくることだ」。と一応の解釈として、小澤先生、「大成」に助けを求めることにする。

 果たして、この「あかあかと日」の解釈に「赤あかとした夕日」と解すする説と「明か明かとした朝日、あるいは日差し一般」とする説がある。私は、「まだまだつれなく(係助詞:強意の添付)、暑く照りつける太陽」そして「そういう太陽ではあるが、風は涼しさを交えて秋の到来を知らせている」。との解釈に納得するのである。

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『名句の所以』(著小澤實p189 毎日新聞出版)より

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新涼の固く絞りし布巾かな  久米正雄

 立秋を過ぎ涼味にはっきりとした季節の移ろいを感じるようになる。固く絞った布巾はまさにキッパリとしている。雑巾のように濁りが感じられないところに新涼と固く絞られた布巾に同質の気高さが感じられる。この句はそこを捉えている。

 それでは誰が絞ったものであろう。私は作者の奥方と解したい。それならばこそ新涼の持つ新鮮な涼味と連なるのであり、暮らしの中で使いこまれた安心できる清潔感にも通じるのである。その上に少しこきこきする卓袱台を言うのは鑑賞のつきすぎであろうか。


 

ギャラリー
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
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