2022年10月

53『芭蕉の風景』(著:小澤實)を読む

Ryo Daimonji Blog 

菊鶏頭きり尽し けり御命講  
芭蕉

「御命講」とは、日蓮の忌日を弔う法事であった。東京の池上本文寺には数十万の信者が詣でるそうである。この句のテーマとして芭蕉が「御命講」なる言葉を始めて季語として使ったと言はれることがある。芭蕉自身は尚白宛書簡の中で「この五十年間、人が見つけなかった季語を、私のつたない句に取り上げました」と記している。この忌日は旧暦では9月頃で、菊、鶏頭は盛りにかかるころである。にもかかわらず法事のために切り尽くされたと、その勢いがよく表はされていると思う。



 

『名句の所以』(著:小澤實  毎日新聞出版)より

Ryo Daimonji Blog 『名句の所以』(著:小澤實p201 毎日新聞出版)

蟋蟀が深き地中を覗き込む  山口誓子 

 若い頃より読み慣れた大好きな誓子のこの句、客観視できないほどだ。まずは、分類は「虫」で秋。技術的には「擬人化」。いかにも蟋蟀が意思を持ち地中を覗き込んでいるような「感じ」を普遍的に捉えている。一般的俳句の教科書では比喩は避ける方が賢明とされる。月並み化して陳腐になる場合が多いからだ。それに比してこの句、ユニークな発想、蟋蟀の顔が浮かぶ写生力等々、名句の所以である。


 

2007年(平成19年) 秋 大文字良 第一句集『乾杯』より  

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川に晒す腑抜きの鹿や眼の澄める
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52『芭蕉の風景』(著:小澤實)を読む

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此海に草鞋すてん笠しぐれ  芭蕉


 旅人芭蕉である。何処であろうと履物を捨ててはいかんだろう。ただ、誰でもそういった大事なものをかなぐり捨てたくなることもある。ましてやそうあることが許されそうに美しい海や、この上なく嬉しい飲み屋で飲みすぎたあたりで、宵越しの金なんぞいらねえや、とばかり飲んじまうなど。(少し違ったかも)ようは自暴自棄、やけくそになっているのである。

 芭蕉にそんな時があったのか。興味深いが、そんな人間味ある芭蕉の一面とすればそれはそれで私なんぞは嬉しくほっとする。

 

『名句の所以』(著:小澤實  毎日新聞出版)より

Ryo Daimonji Blog 『名句の所以』(著:小澤實p200  毎日新聞出版)より
 

水音と虫の音と我が心音と  西村和子


 水音、虫の音と自然の音に包まれている自分を、我が心音とこれもまた音で括り最後に「と」で形は止まるが音の連鎖は続く。この循環の中で己はあって、永遠とも思える命。「命」がこの俳句で捉えられている。

 4年ほど前になるが、無痛性心筋梗塞で救急入院治療となったことがある。4度施術を受け、心臓にステントの入る身となった。就寝の床につくたびに己が心音を確かめている。命は安らかに孤独の音がする。


ギャラリー
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2011年(平成22年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2011年(平成22年) 冬 大文字良第一句集『乾杯』より
  • 2010年(平成22年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2021年(平成23年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2021年(平成23年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2021年(平成23年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より