2022年12月

71『芭蕉の風景』(著:小澤實)を読む

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春立てまだ九日の野山哉  芭蕉

 この句の九日が正月一月の九日であることに大方の異論はないようだ。それにしても正月の日の経つ感覚は不思議だ。今日も実際三日なのだが今年は日が経つのが遅く感じられて仕方がない。それが五日を過ぎると急に早く過ぎはじめ二十日前後になると今度はまた長く感じる。そして二月が逃げるとは駄洒落とばかりもいえない。それにしてもこの句、野山に立ち込める淑気を逃さず清らかである。


 

 

  



 



『名句の所以』(著:小澤實)を読む

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小鳥死に枯野よく透く籠のこる  飴山 實

 鳥であれ犬であれ飼っていたペットが死に、その籠や小屋が残っているのを見るのはとても辛いことだ。その寂しさ、空虚さを「枯野よく透く」と選ばれた言葉に、暗くもなく重くもない小鳥の死の認識がある。そう、そんなことは小さなこととして僕達は生きてるんだ。


⑤定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

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耳とほき浮世の事や冬籠  虚子
 

 歳をとって耳の遠くなった自分にとって世俗の損得や人のことなんぞはどうでもいいことだ。この調子で冬籠と決め込もう。耳が遠くなると言う高齢の特徴を活かして冬籠と決め込む余裕のことを俳句にされた。季語がややつきすぎを否めないが、そう言う孤高悪くない。

 



70『芭蕉の風景』(著:小澤實)を読む

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歩行ならば杖つき坂を落馬哉  芭蕉
 

 杖をつかわないと行けないほどの坂である。世に杖つき坂とも言われている。そこを馬で行こうものなら落馬するのは必定、それほどに厳しい坂である。歩行で行って落馬すると言うのはおかしいが、自分の落馬にまつわる思い出があるのである。日本武尊の古事記上の地名を珍しい無季句でねじ伏せた感が強いが、行ってみたいところである。



『名句の所以』(著:小澤實)を読む

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冬ざれやものを言ひしは籠の鳥  高橋淡路女
 

 あたり一面が冬の寒さの景色になった。そんな中、籠の鳥がしきりに同じ言葉を繰り返す。おうむか九官鳥かそういった鳥だ。籠の鳥との下五であるが、通常籠の鳥は不自由の象徴として用いられる。身辺不自由なものほどよく喋る。まるで私のようではないか。季題に存分に自分の不遇を語らせ常套句に思いを託す、うまい


ギャラリー
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