Ryo Daimonji Blog
咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄
「かうばしさ」こんがりこげたような、よいにおいである。とある。多くの人は火葬で死を終える。が、それは死んで後のことである、生きている間に咳によってこうばしさを感じることが果たしてあるだろうか。あるような気がします。それがこの句の手柄と言えるのでしょう。既死感の経験は私には未だない。
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咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄
「かうばしさ」こんがりこげたような、よいにおいである。とある。多くの人は火葬で死を終える。が、それは死んで後のことである、生きている間に咳によってこうばしさを感じることが果たしてあるだろうか。あるような気がします。それがこの句の手柄と言えるのでしょう。既死感の経験は私には未だない。
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梅若菜まりこの宿のとろろ汁 芭蕉
歳時記によると梅は春で若菜が新年、とろろ汁が秋ということになる。もっともとろろ汁は芭蕉の頃は季語と認められていなかったらしい。ともあれ新春気分満杯でうきうきする上に大好物のとろろ汁で止められては参るほかない。俳諧撰集『猿蓑』所収とある。元禄4年(1691年)乙州宅であるらしい。
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今朝も亦焚火に耶蘇の話かな 虚子
外仕事の衆が朝のミーティングがわりに火を焚きしばし話を交わすことはよくするところだ。どこからが仕事なのかわからないような話なのだが、確かに気の流れがあって大将が仕切っている。そんな話にここんとこ続く耶蘇の話がまた出る、理不尽なことがあって皆、なんとなく気になっているのだ。と、いうようなことってよくある。
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女人咳きわれ咳つれてゆかりなし 下村槐太
講演会やコンサート会場で開演前に人につられるように咳が続くことがある。
状況はわからないがこの句、女人の咳につられて咳をした自分を詠んでいる。しかもその女人とは縁もゆかりもないのだ。声を交わすのでもなく咳を交わしただけの女性なのだが、異性ということを際立てる俳句である。
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大津絵の筆のはじめは何仏 芭蕉
この句は、元禄三年(1690年)大津で乙州宅にて。『俳諧勧進帳』路通編(元禄4年・1691年刊)所載。大津絵をググッてみるが仏様の絵より鬼の楽しい絵が多かった。中に鬼の絵がティーシャツにプリントされたものがあった、ジャケットの下に着込むのにちょうどいい。
大津絵の鬼のティーシャツ筆始め 良