Ryo Daimonji Blog
2/27 創作活動が苦しいのは当たり前だ。これまでほとんど苦痛なくこれたことが幸いであったのだ。足場を広げてここから自分の俳句を続けていきます。
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2/27 創作活動が苦しいのは当たり前だ。これまでほとんど苦痛なくこれたことが幸いであったのだ。足場を広げてここから自分の俳句を続けていきます。
『芭蕉の風景ならびに名句の所以』(著:小澤實)ここまで読ませていただきました。あとは皆様のご意見をお待ちしたいと思います。暖かいご支援ありがとうございました。
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獺の祭見て来よ瀬田の奥 芭蕉
獺魚を祭るが春の季語。僕にとって初めての季語だった。獺はとった魚を岸に並べてから食べるようだ、それを獺の祭りと言ったそうな。なんとも良い例えではないか。なお、子規が獺祭書屋主人と号したのはこの季語にちなんでのことらしい、多くの蔵書を並べる様が獺が魚を並べるのに似ているからとのこと。これもまた粋な例えである。
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蒟蒻のさしみもすこし梅の花 芭蕉
この句は芭蕉の弟子呂丸への追悼句だそうだ。露丸は元禄6年(1693年)旧暦2月2日に去来宅で急死したそうな。史邦編の俳諧撰集「芭蕉庵小文庫」所載とある。句意は比較的わりやすいのだが、下五梅の花が角川俳句大歳時記に無いのだ、講談社新日本大歳時記にはあった。こう言う当たり前に思ってることが外れるとまいる。春の頃露丸へ供える蒟蒻のさしみをすこし分け合うのだ、師弟愛というには寂しい交歓である。
雨の中に立春大吉の光あり 虚子
天気は雨であるが、立春の喜びが溢れた句である。我が家の周りはまだ雪で覆われている。ひどく寒い日が続いているので春立つ今日という日が余計に光り輝いて見える。大吉の光と言い切ると裏を感じるので慎みたい。例会の日、17名の名が記されている。大勢の仲間で立春を喜び合っている、それが素晴らしい。