Ryo Daimonji Blog
行春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉
元禄二(1689)年旧暦三月二十七日、芭蕉『おくの細道』出立。掲出句は同紀行文に所載。
句意は「春が行こうとしている、鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいる」とある。
この旅から芭蕉自身生きて戻れるとは思っていなかったらしい。その旅立ちでの弟子達との別れの涙を句にするに、鳥を泣かせ、魚の涙を見せたのである。特に鮎や諸子のようなまん丸く濡れたような目は可愛らしくもあり、印象深く下五に決まった。
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行春や鳥啼き魚の目は涙 芭蕉
元禄二(1689)年旧暦三月二十七日、芭蕉『おくの細道』出立。掲出句は同紀行文に所載。
句意は「春が行こうとしている、鳥は鳴き、魚の目には涙が浮かんでいる」とある。
この旅から芭蕉自身生きて戻れるとは思っていなかったらしい。その旅立ちでの弟子達との別れの涙を句にするに、鳥を泣かせ、魚の涙を見せたのである。特に鮎や諸子のようなまん丸く濡れたような目は可愛らしくもあり、印象深く下五に決まった。
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春寒のよりそひ行けば人目ある 虚子
虚子五十一歳の春、寄り添い行く人は奥様であろうか、それとも。いずれにしても男女が大っぴらにあることが憚られる時代、人目を意識しながらもその心地を俳句にしあげた。
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堅香子にまみえむ膝をつきにけり 石田郷子
堅香子は片栗の古名であるらしい。物知らずの私でも田舎住まいのおかげで、片栗の花も見たことがある。何度もね。これを堅香子と上五に明記するだけで俳句が俄然引き立つではないか、そこへ郷子さんが跪いている。名句に相応しい景がたった。
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行春を近江の人とをしみける 芭蕉
元禄三(1690)年旧暦三月末頃、近江の膳所にて、『猿蓑』所載。
「去り行こうとしている春という佳き季節を、近江の人々とともに惜しんでいることだなあ」。と言うことになる。私は同じ近江での同窓会で、友達と再会したことがある。約束の時間までに義仲寺へ赴き芭蕉さんに挨拶してから会場のホテルへ行った。やがて会う友人達と全く異質な空気を飲んでいる自分のことをその時はまだ気づいていない。
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麦踏んで若き我あり人や知る 虚子
麦踏のリズムのことであろうか、ともに踏む家族や近隣の人達の中で自分は早く踏んでいることに気づいた。周りの人もそのことに気づいている。農業はスピードではない。根気なのだよ。微笑ましく見ているが周りの目は、意外と厳しい。