Ryo Daimonji Blog
花に酔り羽織着てかたな指女 芭蕉
延宝年間(1673~81年) 芭蕉三十代、談林俳句(西山宗因)。
句意は、「当時男が着る羽織を着て、刀を差している女がいる。満開の花に酔っているのだ」。ふだん読み慣れている芭蕉晩年の枯淡の句とは対極にあでやかな魅力ある句とされる。いつの時代にもコケティシュな女性がいるものである。
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花に酔り羽織着てかたな指女 芭蕉
延宝年間(1673~81年) 芭蕉三十代、談林俳句(西山宗因)。
句意は、「当時男が着る羽織を着て、刀を差している女がいる。満開の花に酔っているのだ」。ふだん読み慣れている芭蕉晩年の枯淡の句とは対極にあでやかな魅力ある句とされる。いつの時代にもコケティシュな女性がいるものである。
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一片の落花見送る静かな 虚子
桜を見るとはこういうことを言うのだろう。多くの人がこの一片の桜を見てこの静けさを感じたことであると思う。だが、それを俳句にして発表すると言うことは誰でもというわけにはいかない。そこに虚子たる所以を感じる。
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崇徳院しづもる讃岐西行忌 上崎暮潮
崇徳上皇(兄)と後白河天皇(弟)の争いは崇徳上皇の讃岐への遠流で終わる(1156年 保元の乱)。その讃岐で西行忌を修じているのだ。崇徳院の魂をしずめたのは西行であったらしい。
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命二つの中に生たる桜哉 芭蕉
この二つの命とは芭蕉と土芳のことであるらしい。この二人が20年振りに大津水口で再会したのだった。貞享二(1685)年『野ざらし紀行』所載。芭蕉と土芳の別々に生てきた二つの命の中に桜は春になると咲き抜いて今目の前にある。その時間を超えた芭蕉、土芳、桜の命が素晴らしいのである。
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春山の名もをかしさや鷹ヶ峰 虚子
この句の春山を下五鷹ヶ峰のことだとすると、これは京都市北区の鷹ヶ峰を指すのであろうか、この現在地は北区鷹峯赤坂に始まり北鷹ヶ峰、南鷹ヶ峰など20を越える地域からなり、このことを面白いというのであれば、そうであろうと思うのだが定かではない。どなたかお教えください。