Ryo Daimonji Blog
遅月の山を出でたる暗さかな 虚子
秋の月が山を出た。こうこうと明るいではなく、しみじみとしてむしろ暗い。昭和三年、京都の加茂堤に大文字を見るとある。遅月の山は東山のことであろう。
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遅月の山を出でたる暗さかな 虚子
秋の月が山を出た。こうこうと明るいではなく、しみじみとしてむしろ暗い。昭和三年、京都の加茂堤に大文字を見るとある。遅月の山は東山のことであろう。
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亀の子のすつかり浮いてから泳ぐ 高田正子
亀が泳ぐ様子は見たことがある。亀の子も。しかしながらすっかり浮いてから泳いでいたものか、定かではない。しかしこの句は「すっかり浮いてから」と断言している。そのことでこの句に力が宿った。俳句における具象化の手本、名句となった。
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山のすがた蚤が茶臼の覆ひかな 芭蕉
この句、「かいこ=蚕」なのか「のみ=蚤」なのかはっきりしない。となると自分で考えるほかないのだが、茶臼すなわち富士山を覆うものを詠んだとすれば、蚕が巻くと考えた方が雲の白とよく合うのではないか、蚤が富士山を飛び越える、ありもせぬことの例えとの説もあるが、「覆ひかな」で飛び越えるとはいかにも無理を感じるのだが。
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此方へと法の御山のみちをしへ 虚子
昭和二年八月十一日。講演会に出席のために高野山に赴く、とある。高野山はなるほど法の山である。そこで会った道教えが、此の方へと誘うのである。いかにも上手く空気を掴まれる。
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黴の書に占魚不換酒の印存す 上村占魚
黴さえ生える古びた本に、「占魚不換酒」との記名押印がある。この本は絶対酒のために売らんぞ!と誓っているのである。酒好きの私には身につまされるが、酒のために何かを売った経験は今のところない。