Ryo Daimonji Blog
耳は葉に葉は耳になり青葉闇 堀本裕樹
形として耳が葉のように見えることはあるだろうし葉が耳のように見えることもあるだろう。しかし、それは誰の耳で何の葉だい、と問い詰めてわからなくなる。青葉闇に目を閉じると葉と耳の聴覚だけが残る実存感覚のことだよと、誰かが呟く。
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耳は葉に葉は耳になり青葉闇 堀本裕樹
形として耳が葉のように見えることはあるだろうし葉が耳のように見えることもあるだろう。しかし、それは誰の耳で何の葉だい、と問い詰めてわからなくなる。青葉闇に目を閉じると葉と耳の聴覚だけが残る実存感覚のことだよと、誰かが呟く。
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梢よりあだに落けり蝉のから 芭蕉
梢から木の実でもなく、花でもなく落ちてきたのは蝉の脱け殻であった。と言う瞬間を捉えただけの句としても私は十分俳趣があると思う。謡曲「桜川」の「梢よりあだに散りぬる花なれば、落ちても水のあはれとは」のもじり。と補強根拠を引用されるが、「あだに」をそれほど深く解する必要はない、と思うのだが。
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落書の顔の大きく梅雨の塀 虚子
塀の落書で思い出すのは「おっかさん塀の松茸の落書、消しても消してもまた書くのよ」とは娘。そこで母曰く「ほうつておきなさい、触るほど大きくなるんだから」と艶小噺の一席。
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起立礼着席青葉風過ぎた 神野紗希
学校の講堂か教室か、先生を前にして敬礼の作法を上五中四まで置き、以下下五風過ぎたまで口語律で詠まれた。作法と季感の二物俳句と私は解する。削ぎ落とされた起立礼着席に教室に若さが充ちる。その空気に青葉風がよぎることによってさらに爽やかな空気で充ちる句となった。
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近江蚊屋汗やさゞ波夜の床 芭蕉
近江と言う地名を上五に据えることで即座に琵琶湖などの風情が立ち上がる。その近江の蚊やの中で、さざ波を感じながら汗だくで寝ている。暑苦しいのか、爽やかなのかそんな夜もあったのでしょう。延宝五年(1677)六百番発句合。