Ryo Daimonji Blog
妻は開きおのれは丸のどぜう鍋 吉村 昭
この句の季語はどぜう鍋で夏である。夏バテにどじょう鍋は効きそうである。どじょう鍋と表記するよりもどぜう鍋とするほうがなにやらありがたみがする。妻は妻俺は俺だが、思えばどじょう鍋って食ったことあったっけ。
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妻は開きおのれは丸のどぜう鍋 吉村 昭
この句の季語はどぜう鍋で夏である。夏バテにどじょう鍋は効きそうである。どじょう鍋と表記するよりもどぜう鍋とするほうがなにやらありがたみがする。妻は妻俺は俺だが、思えばどじょう鍋って食ったことあったっけ。
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琵琶行の夜や三味線の音霰 芭蕉
この「琵琶行」は、白楽天が左遷されて舟中で琵琶を弾く女性に出会い、その哀音と身の上話に人生の栄枯を感じて作った詩、であるそうな。その琵琶を三味に転じて琵琶行と句にしたところがみそであった。貞享元(一六八四)年『野ざらし紀行』の旅の途中大垣での作。
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来るとはや帰り支度や日短 虚子
一読女性の繰り言を思った。嫁に行った娘、あるいは田舎から都市部へ行った娘も父のもとからはそそくさと帰っていく。日も短くなったし余計に忙しく感じる。正月にはゆっくりしよう、と一応のことを言って満足とする。
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壜に入れて麦湯冷やすや水の中 星野麦人
明治期の製氷のできる冷蔵庫のない時代の作であるらしい。たらいとか木製の入れ物に水を張ってその中で冷やしたのだろう、瓶というがどんな瓶であったろうか確かな想像ができない。冷たい麦茶のおいしい味はわかるのだが。
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霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き 芭蕉
時雨は冬の季語であるが、霧時雨は秋の季語となる。構成要素は富士をみぬ日である。これが面白いと言う句である。こういう感想をストレートにいう句はどう位置付けるべきであろうか。本来ならば霧時雨で富士山は見えないけれど、その影がまた美しい、などとさらに富士という構成要素に物言わせるのが俳句であるはずだ。常識では嫌うべき富士を隠す霧しぐれに美を見出す俳諧、俳句独特の美意識、思想、それこそが俳句の根本にある考え方であると、小澤先生はおっしゃる。