Ryo Daimonji Blog
明けぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉
夜明けの空が明るんできた時、一寸ほどの白魚が河口にきらり見える。春の明けに見るさわやかな一瞬を白魚の小ささに詠んだ。この命、アニミズム俳句と言っても良いだろう。
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明けぼのやしら魚しろきこと一寸 芭蕉
夜明けの空が明るんできた時、一寸ほどの白魚が河口にきらり見える。春の明けに見るさわやかな一瞬を白魚の小ささに詠んだ。この命、アニミズム俳句と言っても良いだろう。
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焚火のみして朽ち果つる徒に非ず 虚子
歳をとった冬の日、焚火などをして穏やかに人生の幕を閉じる。私はそう言う徒に与しない。虚子翁何やら生き盛んである。実は私七十歳にリーチなのだが、同じような心境である。ただし私は焚火のみして朽ち果てたいと思う徒なのだが。
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暁やうまれて蟬のうすみどり 篠田悌二郎
うまれたての蟬は誰しも一度は目にしているのではないか。思い返してなるほどと、そのいろあいのいとけなさを思うのである。この句、そこに改めて気づかせてくれる懐かしさに普遍性がある。
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冬牡丹千鳥よ雪のほととぎす 芭蕉
これが芭蕉の句かと思う駄作ではないか、冬牡丹、千鳥、雪のほととぎす。美しい季語を並べている。写生でもなくアニミズムでもない。でも作句してるとそんな時もある。嫌味なく美しい、この句はこの句として読ませていただきます。
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白雲と冬木と終にかかわらず 虚子
冬の空気が冷たく澄んでわたるなか、白雲と冬木が凛とありそれぞれが誇りを持って存するようにみえる。両者は終にかかわりを拒んでいるかのようだ。かくあたい、虚子翁は誰かに対してその思いを強くしたところだ。