Ryo Daimonji Blog
誰が婿ぞ歯朶に餅おふうしの年 芭蕉
どこの婿さんであろうか、餅に正月飾りの歯朶をつけて背負って行く丑年であることよ。そして、その牛には嫁さんを乗せているとの説もある。芭蕉ががこういう昔ながらの習慣を故郷に見て懐かしんでの歳旦吟であるらしい。貞享二(1685)年春伊賀上野での作。『新芭蕉俳句大成(明治書院582頁)』
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誰が婿ぞ歯朶に餅おふうしの年 芭蕉
どこの婿さんであろうか、餅に正月飾りの歯朶をつけて背負って行く丑年であることよ。そして、その牛には嫁さんを乗せているとの説もある。芭蕉ががこういう昔ながらの習慣を故郷に見て懐かしんでの歳旦吟であるらしい。貞享二(1685)年春伊賀上野での作。『新芭蕉俳句大成(明治書院582頁)』
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椿先づ揺れて見せたる春の風 虚子
この句、椿が春の風を揺れて見せた、との擬人法であります。一般的に俳句の擬人法は避けた方がよいとされます。その理由はいろいろ言われますが、つまりは嘘であるからでしょう。鳥は歌わないし、花も微笑みはしません。気取った作意が透けて見え、薄っぺらい句になってしまうからと、されます。しかしこの句、私はう・ま・いと言わざるを得ません。作者、作品によるのですね。
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春寒のケシゴム一行の字をそげり 鷲巣繁男
暦の上では春なのだが冬へ戻ったような寒い日、作者は一行の字を消した。この一行の字とは俳句のことであろう。「消す」ことを「削ぐ」と表すところに作者の苛立ちを感じる。単に表現技術に苛立っているのではない、書ききれない己が直面している内奥、そんなことを感じる。
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火を焚て今宵は屋根の霜消さん 芭蕉
門人・濁子の細君から冬籠もりの料(薪炭)が寄せらたので、と「芭蕉全句(小学館)」に説明がある。火を焚いて屋根の霜を消そう、という句意だが、霜を消すには家を温かくしてということが省略されている。この省略にこの句の命がある。場合によっては雪の夜より霜の夜の方が冷えが厳しく寒いことがある、藁屋根のぬくみも存分に伝わる。