Ryo Daimonji Blog
鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉
一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスではこの句の場合そぐわない。やはり終助詞の詠嘆、あるいは単に切れ字と解してよいようである。「捨てけん」で捨てたようだ、と過去推量にした。もって、流石の鳥刺しもほととぎすの美しい声に持っていた竿を捨ててしまったようだ、でどうだろう。
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鳥さしも竿や捨てけんほとゝぎす 芭蕉
一読、「鳥さし」とはなにかと思う。鳥を刺す猟師のことのようである。次に竿やの「や」の品詞は何か,係助詞と解して「けん」と連体形で受けているので良いように思うが、係助詞やの疑問、反語のニュアンスではこの句の場合そぐわない。やはり終助詞の詠嘆、あるいは単に切れ字と解してよいようである。「捨てけん」で捨てたようだ、と過去推量にした。もって、流石の鳥刺しもほととぎすの美しい声に持っていた竿を捨ててしまったようだ、でどうだろう。
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大木の五月雨の谷に横たはる 虚子
この句も前回の《五月雨の和田の古道馬もなし》と同じく明治27年6月24日『小日本』とある。この五月雨の谷も長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないか。いわゆる杉などの大木は意外と雨風に弱く一晩で谷を渡って倒れたりするものである。その景を詠んだものと思うのだが季節が初夏なので勢い余る景が生き生きと見えて気持ちが良い。
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三枚におろされている薄暑かな 橋閒石
「三枚におろす」とは魚の調理方法のことである。この句、薄暑がおろされているように読めるが、私は、なにがしかの魚が三枚におろされているところを見て詠んでいるのだと、解した。魚によってはあるいは包丁によっては魚を捌くことには緊張が伴う、その見事な手際に本格的な夏の到来前のひと時が心地よい。
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牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残哉 芭蕉
蜂が牡丹の花蘂のふかくから分け出でて、即飛び立つのではなく一瞬の間をおいて飛び立つのである。そのふかくにより牡丹の大輪が見えるのであり、名残により蜂の動きの微細が見えるのである。
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五月雨の和田の古道馬もなし 虚子
この作品は明治27年6月24日『小日本』とある。この頃虚子さんは木曽路を経て京都に帰り、6月には『木曽路の記』を執筆されている『定本 高浜虚子全集 別巻 虚子研究年表(毎日新聞社)』。この和田の古道は、長野県飯田市南信濃和田のいわゆる秋葉古道のことではないかと想像する。宿場街道ではあるようだがなるほどの山奥なので馬もないようだ。そんな風情ひとしおである。