Ryo Daimonji
葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵
葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ」ととらえ表現したところが名句の所以なのだと考える。
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葉桜の中の無数の空騒ぐ 篠原 梵
葉桜の葉の間に見える空を無数の空と表現した。葉桜の量感を小さい隙間にの空に託したわけだ。その上に騒ぐ葉桜を空が騒ぐと転化して見せたところ、こういう表現は明喩と言っていいのか。無数の空が騒いで「いるようだ」ととらえ表現したところが名句の所以なのだと考える。
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おもひ立木曽や四月のさくら狩 芭蕉
貞享ニ(1685)年四月、『野ざらし紀行』の旅をおえ、尾張から木曽路を経て江戸に帰る際、熱田で巻いた連句の立句「明治書院『新芭蕉俳句大成』」。
江戸へ帰る途中であるが、折しも少し遅いが木曽の春も遅いので四月の桜狩を楽しもうかと思い立ったことだよ。
遅い木曽の春を思い返し木曽での四月の桜狩を思い立ち、わくわくしている心持ちがよく伝わる。
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葉ざくらや人に知られぬ昼あそび 永井荷風
いきなりこの句、淫靡な気配を放つ。永井荷風をネットで見てみたが窮乏したり、病気になったりもしておられるが、基本裕福な育ちの人らしい。後年文化勲章も受賞してをられる。若い頃の遊興三昧も芸の肥やしとなったようである。
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白げしにはねもぐ蝶の形見哉 芭蕉
この句は隠喩を用いた句である。即ち白げしが杜国、はねもぐ蝶が芭蕉を意味している。その前提として空米取引で罪を問われている杜国との会うに会えない不遇への哀感があると思われる。白げしに潜っていた蝶が飛ぶ時に残した羽のように私の句をあなたに残して行くことだ、ほどの意味に解した。