Ryo Daimonji Blog
五月雨や桶の輪きるる夜の声 芭蕉
五月雨が降って湿度が増したのであろうか、どれかの桶のたがが切れたようである。そういう音がした。そしてその音は人の悲鳴のような声にきこえるのだ。解説によると、竹製のたがには湿気が大敵だという(小学館『芭蕉全句』)。貞享四年(1687)の作。
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五月雨や桶の輪きるる夜の声 芭蕉
五月雨が降って湿度が増したのであろうか、どれかの桶のたがが切れたようである。そういう音がした。そしてその音は人の悲鳴のような声にきこえるのだ。解説によると、竹製のたがには湿気が大敵だという(小学館『芭蕉全句』)。貞享四年(1687)の作。
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子規鳴き過ぐ雲や瀧の上 虚子
子規が鳴きながら飛び過ぎて行く、その雲が瀧の上を過ぎて行く。この過ぐが双方にかかっているのだ。むしろそれより問題は、子規、瀧は双方共に夏の季語だ、こういう二重季語はいかがなものか。いわゆる異種の二重季語はルールとしてタブーと言えるだろうがこの句の場合、夏という季節感を強調することがあっても季感に矛盾を来すこともない。私はこれを是とするものである。
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かほに塗るものにも黴の来りけり 森川堯水
解説で作者は貧しい境涯と向き合った、とある。顔に塗る化粧品なのだろうが、それを使う作者の妻はおそらく捨てずに使ったのだろうと推測されている。そこまで読むのもおもしろくもあるが、私は化粧品にまで黴が来る季節感を詠んだこの句に上手さを感じる。
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卯花も母なき宿ぞ冷じき 芭蕉
貞享四年(1687)年作。其角の母への追善吟とある(小学館『芭蕉全句』)。初夏を彩る卯の花も母を亡くした身には「冷じき」つまり心は冷え冷えとしてさみしく孤独に絶えない。と言ったとことか。そうですねえ、他人の不幸ってその本人より身近な人間の方が深く理解できることってある。だがそれを俳句といえども口にしちゃいけない。芭蕉に限らないが、文人の軽薄なところがこの句に出てると思う。
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短夜や盗みて写す書三巻 大須賀乙字
この句の背景として、作者に師にまだ早いと読むことを禁じられていた芸道の秘伝書があったこと。そして師の書架から盗み出し、徹夜覚悟で写そうとしたこと。そしてそれは乙字の直接経験を詠んだものではなく、浪漫的詠史の句だろう(毎日新聞出版 小澤實 『名句の所以』123頁)。がある。『この句の背景の俳論家として立つ作者の強い向学心が写し出されている。その後乙字は師を批判することとなり、緊迫した師弟関係もこの句から読み取れる』。