Ryo Daimonji Blog
蓮池や折らで其のまゝ玉まつり 芭蕉
玉まつりは魂祭とも表し、いわゆる先祖を祀る盆行事のことであった。池の蓮を折りとることなくそのまま盆の供花とすると言った意味で、蓮池に盆の風情が立ち込める初秋の句となっている。
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蓮池や折らで其のまゝ玉まつり 芭蕉
玉まつりは魂祭とも表し、いわゆる先祖を祀る盆行事のことであった。池の蓮を折りとることなくそのまま盆の供花とすると言った意味で、蓮池に盆の風情が立ち込める初秋の句となっている。
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生身魂ひよこひよこ歩き給ひけり 細川加賀
生身魂とは父母主人、親方などの目上の者、この方に子供や目下の者が饗応したり贈り物をするなどのお盆の行事である。その生身魂がひよこひよこ歩いておられた、と敬語こそ使うが揶揄しているのである。
この揶揄はいわゆる馬鹿にしてからかっているのではなく、愛すべき矍鑠とした肉親への愛情表現と思われる。作者にとってこの生身魂はお母さんなのであつた。
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すのこふめばはたと鳴きやむきりぎりす 虚子
すのことは、竹や板を間をすかせてはった床との、見事な定義を得た。そしてその下にいるキリギリスはギッチョともいい、それは大きくスイッチョと鳴く。そのキリギリスがすのこを踏むとはたと鳴きやんだといい、その静かさに逆にそれまでのキリギリスの鳴き声を聞こえさせている。
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はつ龝(あき)や海も青田の一みどり 芭蕉
はつ龝で初秋という意味であるらしい。龝これであきと読むとは、はじめての漢字であった、この字はさらに穐とも書き、いわゆる秋のこととなる。漢字の深さに改めて見入ることであった。
初秋の海の青も広がる青田と連なり清爽この上ない眺望が広がる。美しい。
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暁や盥の中の秋の水 虚子
この句、盥の中の水に秋という季節を特に感じている。しかも宵、夜中に続く未明の刻、つまり暁どきをや切れで詠嘆して見せるに及んでなんとも不可解な俳句となっている。比較的大きな盥に汲み置かれた水は何のための水であったのだろう。ましてや夜明け前の未明の刻である。
たまたま寝る前に汲み置かれた盥の水を明け方に見る。その水に涼しくなった秋をつくづく感じた。俳人虚子の非凡な感性が捉えた秋の夜明け前の朝の一瞬。そう解することにする。