2024年09月

149 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

Ryo Daimonji Blog

痩馬に車つなぐや鶏頭花  虚子

 昭和29年から35年頃、我が家には牛がいた。農耕用に飼っていたもので、主に爺様が飼育使用していた。馬は近所に一頭、山用にいたと記憶している。虚子さんのこの句は明治28年8月31日の新聞「日本」とあるので、十分に働いていた馬と思われる。中七「や」切れで下五に「鶏頭花」の名詞でくくる安定した形で落ち着く。この頃の貴重な家内労働力であったことが痩せ馬の上五から偲ばれるのである。



187『名句の所以』(著:小澤實)から

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秋の虹消えたる後も仰がるる  山田弘子

 虹は歳時記にまずは夏とされる。ついで春の、秋の、冬のと季節をつけてそれぞれに季語とされる。最も活き活きと爽やかさに満ちた夏の虹をただ虹として基本季語とされたものと思う。ついでそれぞれに季節の名を冠せ独立させてその季感を認めた。それほどに虹という現象は季節によって繊細に変わるものなのだ。これまであまり意識せずにきたがこれからはしっかりと味わうことにしよう。


120  芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

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蔦の葉はむかしめきたる紅葉哉  芭蕉

 蔦は紅葉が美しく塀、壁などに這わせる、と辞書にある。そこで己が家に這うにまかせた人があったが、家壁の養分をすいつくすに至った。確かに古風な着物の柄を思わせその紅葉は蔦紅葉と季語に記される通り美しい。




148 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

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朝露や背丈にあまる萱畑  虚子

 私は子供の頃、茅葺の家に暮らしていた。その頃のことを思い出すにつけ、ずいぶん月日が経ったとしみじみ思う。萱にはそんな家屋の屋根の補修に使われていたことの思い出が強くある。野原に枯れて佇む萱を見るたびにそんなことを思い起こしながら歳を重ねたと思う。

 この句はそんな萱を自分の背丈に惹きつけて詠まれている。現代にこの風情に自分の暮らしを重ねる人がどれほどいるだろうか、自分でも意外な感慨を覚えた。





186『名句の所以』(著:小澤實)から

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これ以上澄みなば水の傷つかむ  上田五千石

 水に毒を入れるとか、泥で濁るとかを水の傷と定義すれば、あるいは水にも傷がつくといったことも考えられるのかもしれない。しかしこの句、その真逆の「澄む」という状態を基準としている。非常に純粋な人が度を越して傷つくということは意外によくあることかもしれない。そのことのたとえだと解することにした。


ギャラリー
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