Ryo Daimonji Blog
秋草の名もなきをわが墓に植ゑよ 虚子
秋の花、たとえば萩であるとか菊、はたまたかれんな竜胆など。虚子翁に似合う花はいくらでもあるでしょうに、名もなきをと言う。煩わしき現生を終えたなら静かに名もなき秋草とともに眠りたいとおっしゃるのか。かくも名声をはくされた虚子翁の本音の一句は、ナルシズムに満ちたこの句でありましたか。
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秋草の名もなきをわが墓に植ゑよ 虚子
秋の花、たとえば萩であるとか菊、はたまたかれんな竜胆など。虚子翁に似合う花はいくらでもあるでしょうに、名もなきをと言う。煩わしき現生を終えたなら静かに名もなき秋草とともに眠りたいとおっしゃるのか。かくも名声をはくされた虚子翁の本音の一句は、ナルシズムに満ちたこの句でありましたか。
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足もとはもうまつくらや秋の暮 草間時彦
この句の季語は秋の暮だがもうひとつ釣瓶落しという秋の季語がある。秋の日がたちまち暮れていくさまをいう、そしてこの句はまさにそのことを詠んでいる。ただ、そのことを暮れ行く足もとに絞り込んで詠んでいるのだ。「時間の流れの早さを目に見えるかたちで、たしかに示している。」とは小澤先生の本書での解説であった。
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いざよひのいづれか今朝に残る菊 芭蕉
いざよひ、十五夜を過ぎた月。残る菊、陰暦九月九日の重陽を過ぎた菊にしてもいづれもその美しさに衰えなどない。十日になるが良いではないか、と小宴を張ろうという素堂の好意に感謝し、興ずる心で報いる気持ち。そう、真の粋ものは延々と宴を楽しむパリポーである。
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おもかげのかりに野菊と名づけんか 虚子
「たみさんは野菊のような人だ。」伊藤左千夫の野菊の墓のセリフにあって何故か覚えている。虚子さんも初恋のイメージに野菊を思うようだ。ちと田舎くさく古風だと思うが、それなら何がいいか思い浮かばない。この句の前書きに「初恋」とあるのが可愛く美しいのである。
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風変るものみな秋の声放つ 文挟夫佐恵
秋になったからと言って風が変るという自覚がない。それと秋の声にもなかった。季節に伴うことごとはあるにはあるが、この句のように押し並べて捉えるとなんのことかと思ってしまう。反面全てに当てはまるようにも思え、この句の意義が問われる所以のところであろう。