2024年10月

129 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

  Ryo Daimonji Blog

吹きとばす石はあさまの野分哉   芭蕉


 浅間山は長野県と群馬県との境にある2,568メートルの成層火山で活発な活火山として知られている。その浅間山の野分で吹き飛ばされた石の景を「あさま(しさ)」とかけているらしい。いつの時代もしゃれはおもしろい。だが、山頂火口から概ね2kmの範囲では、噴火に伴い飛散する大きな噴石や火砕流に警戒が必要なようで その点、しゃれにならないようであります。



156 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

Ryo Daimonji Blog

秋草の襖にひたとよりそひつ   虚子

 上五の秋草に私は芒を連想した。それに中七に襖とあるので一定の嵩を感じたのだ。加えて下五によりそひつとあるので高さもあると思ったからだ。ともあれある種の心境を詠んだ句であるがその景に具体性はない。前書に「四明等と金地院に遊ぶ」とある。


194 『名句の所以』(著:小澤實)から

Ryo Daimonji Blog

秋風や柱拭くとき柱見て   岡本 眸

 人間は一を聞いて十を知るではないが、一つを為すときに同時に十に感応して為すべき者なのかもしれない。ましてや氏ほどに著名な俳人であってみれば尚更感や気配りの素早さ、鋭さといったことに秀でた人もいないだろう。その人が柱を拭くときは柱だけを見て拭くのだと自分に言い聞かせている。

 たとえであるが、私の先輩が柱を拭くときはいろいろとする掃除のついでに見えるとこだけでも拭いておけば、それで良いのです。万事、しないよりましほどでいいのですよ、と言っておられた。それは気の利くホームヘルパーのおばちゃんであった。


127 芭蕉を読む(芭蕉全句:小学館)

 Ryo Daimonji Blog

月影や四門四宗も只一ツ   芭蕉

 長野県の善光寺が複数の宗門によって管理されていることは今日でも常識のようで善光寺四門とか四宗兼学とか言うらしい。この上五の「月影」を真如の月、つまり本当の月、さらに仏の教えはひとつというふうにたとえているらしい。形や呼び名はそれぞれあるとしてもほんまもんは一つ、只一ツということか。




155 定本 高浜虚子全集 第一巻『五百句』より

Ryo Daimonji Blog

高き窓に芭蕉婆娑たる月夜かな  虚子

 高いところにある窓に芭蕉の葉が風に吹かれるのが、袖を翻して踊る姿のように見える月夜であるなあ。婆娑という言葉が初めてであった。しかし、あたりまえと言えばそうだが、知らない言葉って幾つになってもある。そのことがむしろうれしいくらいだ。芭蕉の葉がゆらめく月夜の窓辺に虚子先生妖艶なる舞姿を連想しておられるのだ。わかる分かりますぞ。



ギャラリー
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2012年(平成24年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2011年(平成22年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2011年(平成22年) 冬 大文字良第一句集『乾杯』より
  • 2010年(平成22年)  冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2021年(平成23年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2021年(平成23年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より
  • 2021年(平成23年) 冬 大文字良 第一句集『乾杯』より