Ryo Daimonji Blog
霜の後撫子さける火桶哉 芭蕉
霜が降りて寒いので火桶を出した、その火鉢に描かれた撫子がきれいに咲いているよ。という順番で、火桶の見た目にも美しい味わいを句で詠んでいる。俳句の表現技術の芸術性を感じる。
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霜の後撫子さける火桶哉 芭蕉
霜が降りて寒いので火桶を出した、その火鉢に描かれた撫子がきれいに咲いているよ。という順番で、火桶の見た目にも美しい味わいを句で詠んでいる。俳句の表現技術の芸術性を感じる。
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霜やけの手を集めたる火鉢かな 虚子
擬人化俳句である。火鉢が霜やけの手を集めたと言う、「霜やけの手の集まりし火鉢かな」と擬人化を避ける手もある。しかし、原句の方が物語があって膨らみがある。例えば集まっているのは大人ではなく三つ五つつの子供、火鉢のもおりをしているのはおばあちゃんだ、この霜やけの手は何とかの子沢山、昨今の少子化家族ではないのだ。
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咳をして死のかうばしさわが身より 山上樹実雄
この句、死の香ばしい匂いが自分の身よりするという。「かうばし」は「かぐわし」の音便でこんがり焦げたようなよいにおい、とある。作者は眼科医でもあり、自分のことであっても病を客観冷静に捉えうる力があると思われる。
ただ、この句が作者瀕死の床での作かどうかはわからない。作者の享年は83歳で呼吸器系の疾患であったようだ。「馬酔木」「南風」同人を経て、2004年に「南風」代表に就任されている。
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初雪や聖小僧の笈の色 芭蕉
聖小僧とは、本来は、成人の僧を指す〈大僧〉の対で、年少の仏道修行者を指すようです。その僧の書物などを入れる背負箱の色を初雪との対比で詠んでいます。
聖は平安時代から官僧に対して、世を捨てて仏道に励む半僧半俗的な隠遁求道者のことをいうようですが、この存在を現代風に理解するのはむずかしい。代表的なものには高野聖がある。江戸時代になると呉服などの商品などを入れて持ち運び、俗化も見られたようです。
この句の場合初雪の中、その聖小僧の笈は長旅にすっかり古びて、いかにもあわれであったようです。(小学館 『松尾芭蕉①全発句』)
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寒潮に河豚の毒を洗ひけり 虚子
塩というのは不思議な食材である。喪の汚れを祓うためと言って身に振りかけたり食の毒消しにも使ったりする。この句は、寒の潮に河豚の毒を洗うと言う。この上なく冷たい塩水で確かに河豚毒も清められそうである。この句の場合、「河豚」と書いて「ふぐと」とルビがあった。これで本当に河豚の毒は洗い流されたのかは疑問ではあるが、寒潮の清らかさがぴたりと句で表現できているのである。