Ryo Daimonji Blog
梅林や轟然として夕列車 高浜虚子
梅林と夕列車との取り合せ、それに轟然という形容動詞でその様を表しています。美しい梅林にいて大音響を立てて列車がとおりすぎて行きます。その不穏な空気が伝わります。しかも、夕暮れ時に、作者はどうしてそこにいたのでしょう。俳句や短歌の世界とは極端に異なるこの梅林に、引き込まれたのであります。
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梅林や轟然として夕列車 高浜虚子
梅林と夕列車との取り合せ、それに轟然という形容動詞でその様を表しています。美しい梅林にいて大音響を立てて列車がとおりすぎて行きます。その不穏な空気が伝わります。しかも、夕暮れ時に、作者はどうしてそこにいたのでしょう。俳句や短歌の世界とは極端に異なるこの梅林に、引き込まれたのであります。
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白魚をすすりそこねて死ぬことなし 齋藤 玄
白魚をすすりそこねて、当然死ぬことなどあり得ないのである。それを俳句にするという特別をこの句にはまづ感じなければならなかった。果たして、作者は1980年に直腸癌により死去、66歳であったとある(ネット)。その故に作者は日常的に死を意識した生活を余儀なくされたものと推測するのである。
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やまざとはまんざい遅し梅花 松尾芭蕉
この句には「伊陽山中初春」と前書がある。「伊陽」は伊賀国上野(三重県上野市)あたりであるらしい。その山中では正月に来るまんざいが、梅の花が咲く頃に来る、なんとも遅いことである。と詠んでいる。「やまざと」と場所を特定せずまんざいが来るのが遅いということを梅の花に託しているのだ。なんともうまい季節描写だと思う。元禄四年春の句である。
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恋猫や鮑の貝の片思ひ 内藤鳴雪
恋猫、鮑とくるとなにやら連想してしまうのだが、「鮑の貝の片思ひ」は鮑が二枚目の片方の貝のみのように見えるところからそう言われてきたようだ。それと「万葉集」巻十一の「伊勢の海女の朝な夕なに潜くといふ鮑の貝の片思にして」にもよるのであった(毎日新聞出版『名句の所以』)。
ともあれ、恋猫と鮑との取り合せで恋の切なさを詠むとは、昔も今もその道では悩み多きことであります。
/24 Ryo Daimonji Blog
梅若菜まりこの宿のとろゝ汁 松尾芭蕉
この句には前書に「餞乙州東武行(おとくにがとうぶのこうにはなむけす)」とある。つまりは、乙州が江戸へ出立する餞別句である。その句意は、あなたの道中には梅が美しく咲き、畑には若菜が目に入ることでしょう。また、鞠子の宿駅では、名物のとろろ汁もある。楽しい旅をしてこられよ(小学館 松尾芭蕉集❶全発句)と、いうことであった。