Ryo Daimonji Blog
雨に出す蝸牛の肉龍太無し 小澤實
梅雨どきの激しく降る雨に蝸牛が這っている。その季節は夏の勢いに満ちているのだ。蝸牛もまた活き活きと角を出しあたりを伺う様子で元気に満ちている。同時に作者は敬愛した飯田龍太の不在を感じる。思い出すのではない、雨の蝸牛の活況に接した時同時に感じたとてつもない寂しさなのである。
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雨に出す蝸牛の肉龍太無し 小澤實
梅雨どきの激しく降る雨に蝸牛が這っている。その季節は夏の勢いに満ちているのだ。蝸牛もまた活き活きと角を出しあたりを伺う様子で元気に満ちている。同時に作者は敬愛した飯田龍太の不在を感じる。思い出すのではない、雨の蝸牛の活況に接した時同時に感じたとてつもない寂しさなのである。
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己が火を木々の蛍や花の宿 松尾芭蕉
この句の「木々」が気になった。大きな木ではないと思う、柳やそういった低雑木だろうと思う。その中に紛れて点滅している。己が「火」も気になるのだが他に表現する字も思いつかない。「花の宿」がきれいすぎてこれも気になるが、「蛍」に「花」とくればついつい用心してしまう。
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草むらに蟷螂が蝶を捕らえているよ。と秋の一風景を切り取っている。なんでもないことのようだが、蟷螂が蝶を捕らえた瞬間ということを見た人は少ないのではないだろうか、丹波住まいの私にしてもありそうでないのです。でも、こう俳句で見せていただくといかにも見えてくるのが不思議です。
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セイタカアワダチサウ秋草に入るや否や 小澤實
小澤實先生の〈翁に問ふプルトニウムは花なるやと〉にしても私は理屈がすぎて俳句と認め難い。ところが先生の素朴にピュアな感覚を思うとコクンと諾う何かがある。背高泡立草はいわゆる秋の七草には入らないだろうが、堂々歳時記の秋に入ってあるではないか。
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日の道や葵傾くさ月雨 松尾芭蕉
日の道とは、地球から見て太陽の移動経路のことで、葵の花の傾きがこの道に沿っていると、俳句の観察美を詠んでいる。立葵が先まで咲くと梅雨が明けるのだと、何度も聞いてきたが、今年もことのほか暑い。