Ryo Daimonji Blog
牡丹焚いまむらさきの燠となる 小澤實
牡丹焚という季語は福島県の枯れた牡丹を焚いて諸病からの厄払いをする行事によるそうである。なるほど絢爛たる牡丹の死骸ともいうべき枯れた牡丹にはそういった、神通適な効用がありそうな気がする。燃え尽きた今である、燠となってなお、ゆかしい光を灯し続けるのである。
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牡丹焚いまむらさきの燠となる 小澤實
牡丹焚という季語は福島県の枯れた牡丹を焚いて諸病からの厄払いをする行事によるそうである。なるほど絢爛たる牡丹の死骸ともいうべき枯れた牡丹にはそういった、神通適な効用がありそうな気がする。燃え尽きた今である、燠となってなお、ゆかしい光を灯し続けるのである。
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柿紅葉山ふところを染めなせり 高浜虚子
山に柿の木があって、それが紅葉している。山ふところとあるので山の奥まったところなのであろう。そこにあって、そめなす、とその柿紅葉の意思ある如くの表現、扱いである。それほどに峻烈に紅葉しているということであろうが、俳句表現として見事であると感じる。
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しぐるるや田の新株の黒むほど 松尾芭蕉
冬の雨は冷たい、寒さよりも冷たさを強く感じる。その上に刈終えた田の切り株が黒みを帯びてくるのを見ると一層寒い。この句、冬の寒さをしぐれと田の切り株の黒く腐りゆく様で表す。もうすぐそんな季節が来ます。
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唐門の赤き壁見ゆ竹の春 高浜虚子
百丈山 石峰禅寺と後書があった。石峰禅寺は京都市伏見区にある禅寺で確かに中国を思わせる門があって、それが赤く異国情趣がある。この寺は黄檗宗の禅寺で本尊は薬師如来とあった。他に若冲の深い縁ある寺と特筆されるのである。
季語竹の春で秋を詠んでいるのだが、禅宗で唐の匂いが強く秋に来て勢いを盛り返す竹の屈折した春の季感がふさわしくこの寺に合うのである。
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新米を握りこぼしぬ新米に 小澤實
新米が炊けた。おこうこや、うめぼしも用意して、おにぎりにしていただくのだ。手にもった炊き立て飯は思いのほか熱かった。ぼろぼろと手からこぼれた飯のもったいなさに焦る。新米のありがたさを「こぼす」というばちあたりで、一層際立たせた。