Ryo Daimonji Blog

朝露や背丈にあまる萱畑  虚子

 私は子供の頃、茅葺の家に暮らしていた。その頃のことを思い出すにつけ、ずいぶん月日が経ったとしみじみ思う。萱にはそんな家屋の屋根の補修に使われていたことの思い出が強くある。野原に枯れて佇む萱を見るたびにそんなことを思い起こしながら歳を重ねたと思う。

 この句はそんな萱を自分の背丈に惹きつけて詠まれている。現代にこの風情に自分の暮らしを重ねる人がどれほどいるだろうか、自分でも意外な感慨を覚えた。