Ryo Daimonji Blog

痩馬に車つなぐや鶏頭花  虚子

 昭和29年から35年頃、我が家には牛がいた。農耕用に飼っていたもので、主に爺様が飼育使用していた。馬は近所に一頭、山用にいたと記憶している。虚子さんのこの句は明治28年8月31日の新聞「日本」とあるので、十分に働いていた馬と思われる。中七「や」切れで下五に「鶏頭花」の名詞でくくる安定した形で落ち着く。この頃の貴重な家内労働力であったことが痩せ馬の上五から偲ばれるのである。